1997年に放映された宮崎駿監督の劇場版映画『もののけ姫』、スタジオジブリ第11作目にあたる作品。
公開当時は193億円もの破格の興行収入を獲得した〝稀代の名作〟と謳われたほどの傑作です。
今回はこの『もののけ姫』にまつわるエピソードやその魅力的な場面、また独断の感想を交えながら感動の名シーンを一挙公開したいと思います。
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『もののけ姫』詳細
監督:宮崎駿
販売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
発売日:2014年7月16日
概要
スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画作品。
1997年7月12日公開。宮崎が構想16年、制作に3年をかけた大作であり、興行収入193億円を記録し当時の日本映画の興行記録を塗り替えた。
映画のキャッチコピーは「生きろ」。主題歌「もののけ姫」(作詞 – 宮崎駿/作曲・編曲 – 久石譲)を歌う米良美一は、女性のような高い声で歌うカウンターテナーが話題になり、この作品によって広く認知されるようになった。
主な登場人物・声優
[ad#ad-1]アシタカ/声優:松田洋治
本作の主人公。17歳。ヒイ様からは「アシタカヒコ」と呼ばれている。
ヤマト(大和)との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ(蝦夷)一族の数少ない若者で、王になるための教育を受けた、一族の長となるべき少年であり、それにふさわしい気品をもつ。サン/声優:石田ゆり子
本作のヒロイン。15歳。もののけ姫。犬神(山犬)に育てられた人間の娘。
かつて山を汚した人間が生贄として差し出した少女。
不気味な土面を付け、自然を荒らされた恨みから、巨大な山犬に跨り、タタラ場やエボシ御前に何度も襲撃を繰り返す。エボシ御前/声優:田中裕子
深山の麓で、タタラ集団を率いる冷静沈着な女性。
サンと互角の剣戟を繰り広げる実力を持ち、山犬の特性を知り戦略を立てるなど頭も切れる。ジコ坊/声優:小林薫
物語の序盤、シシ神の森の存在をアシタカに教えた人物。
中年の小柄な僧体の男。実は謎の組織「師匠連」の一員で、その命令により、不老不死の力があるとされるシシ神の首を狙っている。モロの君/声優:美輪明宏
二本の尾を持つ白く大きな三百歳の犬神。
人間に捨てられたサンを育て、娘として側に置く。
人語を解し、高度な知能と強靭な力を持つ。乙事主/声優:森繁久彌
四本牙を持つ巨大な白い猪神。
五百歳の最長老。老齢のために目はすでに見えないが、嗅覚と洞察力が鋭く、ジコ坊達の偵察部隊を見抜いた。甲六/声優:西村雅彦
トキの夫で牛飼いの一人。
集中豪雨の中で米を運搬中、モロの子の山犬に襲われ谷へ転落し、川の中からアシタカに助けられ、村に着くまでにおぶってもらった。
ドジだが憎めない性格。トキ/声優:島本須美
タタラ踏みのまとめ役。
ゴンザを言い負かし、夫の甲六にも愛情故のきつい言葉を投げつける肝の据わった人物。女衆のリーダー的存在である。ヒイさま/声優:森光子
エミシの隠れ里の老巫女であり、村をまとめている。石や木片などを並べて吉凶を占う。
呪いを受けたアシタカを占い、西へ向かうよう告げる牛飼い/声優:近藤芳正、坂本あきら、斉藤志郎、菅原大吉、冷泉公裕
タタラ場に住んでいる集団。
牛を馴らし、米や鉄の運搬の仕事を担う。
【簡単」3分でわかる『もののけ姫』のあらすじ
時は室町時代の日本。
かつて、エミンの村に住んでいたアシタカは、その村を襲った〝タタリ神〟という化け物を退治した。しかしそのときの傷がもとで、アシタカは右腕にそのタタリ神の呪いを受けてしまう。
またその呪いは、アシタカに超人的な能力をも与えていた。
タタリ神とは、何者かに攻撃を受け、それへの憎悪を抱きながら死んだ生霊のようなもの。
アシタカが退治したタタリ神の正体は、人の攻撃を受け、それへの憎悪を募らせて死んだ巨大なイノシシだった。
アシタカは結局その呪いを受けたことにより、村から追い出される。
そしてアシタカは腕の呪いを解くために、イノシシがやってきた西へと向かった。
その道中でアシタカはジコ坊という男に出会い、男から「いにしえの神々が住む森の存在
を聞いてそこへ向かう。
森を目指して山奥に差しかかった折り、傷を負った何人かの男たちを助け、その彼らを村へと連れ帰った。その村こそが、鉄を作る〝タタラ場〟と呼ばれる村だった。
そこにはエボシという村の統治者がおり、エボシは村を守るために男女に仕事を与え、火砲や鉄の矢じりを作らせていた。それは村を襲おうとする外敵や〝もののけ〟を葬るためのものである。そのもののけの内に、アシタカに呪いを与えたあのイノシシもいた。
アシタカは村とエボシの事情を知る上で、「これ以上、憎悪を広めるな」と忠告するが、それまでの統治方針は変わらない。むしろエボシは皆から崇められる存在だった。
そんな村にある夜、もののけ姫・サンが襲いかかる。狙いはエボシである。
人間を憎み続けてきたサンはエボシを襲うことに没頭するが、多勢に無勢であり、やがて窮地に立たされる。そんなサンをアシタカは救おうとするが、アシタカもこのとき大傷を受ける。
アシタカはサンを連れて窮地を逃れるが、途中でアシタカは倒れ、サンはそのアシタカをシン神(生死をつかさどる神)のもとへ連れていく。この一連をきっかけに、サンとアシタカは段々打ち解けていく。
そのシン神の生首には「人を不老不死にする力がある」と言われていた。
ジコ坊をはじめ男たちは、天朝による「神殺し」への許可の下、結束し合ってそのシン神の首を狙い始めた。
ジコ坊はエボシにも話を持ちかけ、シン神の首を取ることに協力させる。
それを契機に〝全てのもののけ〟を退治する決意をしたエボシは、自分たちの領土を広げるためにもその策略に準じていった。
そしてシン神は、ジコ坊とエボシによって首を奪われてしまう。
ジコ坊もエボシも「不老不死」を期待するが、その首から流れ出る体液は、それに触れる者をことごとく葬るという〝死の恐怖〟を返してきた。
体液は森の全土からタタラ場までを飲み尽くし、草は枯れ、人は逃げ惑った。
サンは森が全滅していく様を見て絶望するが、アシタカにより、「シン神に首を返せば破壊はなくなる」という一縷の望みに応えていった。
サンとアシタカはジコ坊からシン神の首を取り戻し、それを暴走するシン神の体のもとに返した。
シン神は自分の首を受け取り、朝日を浴びながら倒れるように森の奥へと姿を消した。
その倒れる際に巻き上がる風が山野をなでると、草木は生気を取り戻し、また元の豊かな常緑を紡いでいった。このとき、アシタカの腕の呪いも消え去っていた。
アシタカはよい人間で許せるが、他の人間を許すことはできないとサンは言う。
アシタカはそう言うサンを説得し、互いの世界(テリトリー)を荒らさないまま共存の道を歩むよう窘める。
〈参考資料〉
【1】『「もののけ姫」はこうして生まれた。』
監督:宮崎駿
販売元:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
発売日:2001年11月21日
【2】『もののけ姫』
監督:宮崎駿
販売元:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
発売日:2013年12月4日
【3】『宮崎駿論 神々と子どもたちの物語』
著者:杉田俊介
出版社:NHK出版
発売日:2014年4月19日
『もののけ姫』の7つの魅力
【その1】幻想的な森の奥
『もののけ姫』の魅力は何と言ってもまず〝幻想的な自然の風景〟でしょうか。
私たちが普段目にしている森や川、山や海といった自然の産物に見られる風情や情緒といったものを皆含めて呼吸をしているような、あまりに膨大な奥深さのようなものが浮き立ってきます。
宮崎監督が本作を作る契機になったものの1つ、「子供たちの心の空洞」を埋めるほどの逸材の多くが、まさにこの自然への探究によって得られるといったような、なにか得体の知れない魅力と活気のようなものが備わります。
この「膨大であり、かつ神秘的な対象である自然への冒険」を含め、本作の魅力はかつて『風の谷のナウシカ』で見られたような〝自然 対 人〟というとても身近なトピックを掲げてくれます。
【その2】キャラクターの人間らしい個性の確立
よくアニメやコミックの世界では〝勧善懲悪〟という決まりきったストーリーが展開されますが、本作をはじめジブリ作品では、どの立場に立っているキャラクターにも独自の個性と欲望が見え、その本能のような力によってさまざまな立ち振る舞いをしていきます。
その走り方が実に旺盛で心地よく、また時折りぎょっとさせるほどの「人間らしい独特のいやらしさ」も見せてくれるのです。
唯一アシタカは多くのキャラクターの中でオールマイティ的な存在であり、自分の欲望をあまりひけらかさない〝坊ちゃん的な立場〟にあります。
それよりもジコ坊やエボシといった〝自我に燃えているキャラクターの個性〟の方が場合によって数倍「人間らしく個性的」に映るのは、やはり『もののけ姫』をはじめジブリ作品の多作に見られる〝魅力的な個性の確立〟となるでしょう。
【その3】涼風が吹き抜ける自然の空間
これも先述の「子どもたちの心の空洞」に通底するものですが、やはり自然の中で無防備に横たわっていると、どうしても「人の頼りなさ」と同時にいろいろな空想も芽生えてきて、「人と自然の関わり合い」や普段目にしているものへの〝探究の姿勢〟が甦るものです。
加えて宮崎監督は本作の制作に当たって、「神秘主義と合理主義の対立」を描きたかったと言いますが、この2つの主義にも〝普段から人が感じている自然への空想〟というのは浮き立ってきます。
いろいろな理想を創造しながら、それでも普段の生活を送る上では合理的な物の見方をやめないでいる。
そんな人間にある「かけ離れていながら密接でもある生き方」は、本作のサンやアシタカ、それに対峙するタタラ場の住人との間に上手く溶け込んでいるのではないでしょうか。
【その4】凶暴なまでに躍動するキャラクター観
先述通り本作の魅力はそのキャラクターの躍動感にあり、そのち密かつ大胆な動きの様子は、おそらく観ている人を半ば圧倒するほどの展開を見せるでしょう。
そら恐ろしくなるほどのリアルな描写が、終始一貫して踊ります。
ストーリーで扱っているキャラクターの由来はほとんど、伝説や民話、古来より伝わる精霊の類であり、その意味でも今回のキャラクターに見る世界観は膨大なほどの奥行きがあるでしょうか。
キャラクター1つ1つが見せつける興味深い〝奥行きと躍動の魅力〟にぜひ釘づけになって下さい。
【その5】生霊や精霊を扱うことによって生まれる奥深さ
本作には本当に自然の奥行きというか、自然がいつも人に見せつけてくる膨大な懐のようなものが満載です。
主人公の2人も人間離れした能力を持っていますし、ストーリーであるていどの力を秘めたキャラクターの全ても生霊や精霊に始まる超自然的な者たちで一杯です。
いえば『もののけ姫』に見られる世界観は、こうした超能力や人間離れした立場を持つキャラクターにリードされる感じが色濃くあります。
そしてどのキャラクターも皆、1つの母体・自然という奥行きに向かって突き進んでいくようです。
人と自然は切っても切れない関係で、古来よりその自然には「まだ人に知られない神秘的な空間」があるように思わされるもの。
この辺りの〝未知の空間への旅路〟が、本作の奥深さをさらに膨らませているのではないでしょうか。
【その6】テーマ「生きろ。」
とてもシンプルで、ズシンとくる大きな言葉。
この「生きろ。」と断定の形でもって本作のテーマが広げられ、主人公の2人(サンとアシタカ)をはじめ、周りの全てのキャラクターも〝自分が目指す理想のため〟に力強く生きていきます。
サンとアシタカが互いに言い合った、
「死ぬな!生きろ!」
というセリフも実にストレートな感動を持ってきて、とてもわかりやすい命のテーマをくっきり浮き立たせてくれる「貴重な生気」を見せてくれます。
観ていて、実に爽快な気分に浸れます。
【その7】それぞれの場面に見られる静けさ
各キャラクターが登場する場面には、キャラクターそれぞれに見合った〝個性的な静けさ〟のようなものが映ります。
この静寂の雰囲気が、観ていてとてもいい感じに映るのです。
サンがモロの君とともに月夜の下、岩場に座って遠くを見つめているシーン…。
アシタカとヤックルが崖のような所をぽつぽつ歩くシーン…。
サンを迎え撃つ前の、エボシ率いる村人が集う集落のシーン…。
他にもいろいろとありますが、そのどれもが「これからの嵐のような展開を期待させる、ゾクゾク感を与える貴重な名シーン」に映ってきます。
いかがでしょうか。
『もののけ姫』の魅力は語っても語り尽せません。
1つの魅力について言おうとしてもその言っている間に、次々次々と、新たな魅力が派生する感じで生まれてきます。
この辺りの〝魅力の中身、その土台〟については、ぜひ実際に観てご確認下さい。
さてお次は、本作に見られた名シーンを厳選して5つ、皆さんにお伝えしようと思います。
[ad#ad-1]『もののけ姫』に見られる5つの名シーン
【その1】サン、エボシに襲いかかる!
タタラ場に奇襲するように舞い込んだサンは、他の村人には目もくれず、ただエボシ目がけて突進します。
そしてエボシとの一騎打ち!
この戦闘の様子は実に細かな点まできちんと描写されていて、観る人には見応えじゅうぶんの爽快感さえ芽生えるでしょうか。
私闘のような闘いのさなか、エボシとサンは、さまざまな表情で語り合います。
このときのエボシの心情と、サンに隠された心の傷のようなものが映し出される点は、今回のメインストーリーの実に根幹の部分に至るでしょうか。
【その2】乙事主(おっことぬし)の変貌シーン
乙事主は巨大なイノシシ神であり、他にいる全てのイノシシの言えばリーダー的存在にもなっています。
年齢は500歳。
もう老衰で目も見えず体も朽ち果てていくのを待つ身ですが、ジコ坊たちの姑息な作戦によって命を絶たれることになった乙事主は「人間に恨みを持つ形」で息を引き取ります。
それがもとで乙事主は、タタリ神への変貌をとてもリアルに遂げていくのです。
この変貌までの一部始終がとても迫力のあるもので、視聴者にもかなりのインパクト・衝撃を与えてくることでしょう。
【その3】モロの君とアシタカの慟哭!
アシタカはサンを人間の世界へ返すよう訴えます。
ですがモロの君はエボシをはじめ、人間を憎み続ける犬神としてサンをなかなか手放しません。
一見すると、人間への恨みを果たすためにサンを利用しているようにも見えますが、サンと犬神はもっと深いところで絆(つながり)を持ち合わせています。
この絆を断ち切るのは容易ではなく、アシタカはやがて自分の命を懸けて、この〝サンの人間の世界への回帰〟に尽力していきます。
このときのアシタカとモロの君との慟哭(さまよう叫び)にも似た対話の様子が、本作『もののけ姫』に込められた「自然と人間とのすれ違い」のようにも聞こえてきます。
【その4】タタラ場での女たちの活気
タタラ場では山や森林から得られる自然の糧を利用し、鉄や矢じりなどの武器をはじめ、そこで生活していくための用具を自給自足でこしらえています。
この仕事を主に女たちが引き受け、男たちは主に村を守るための腕力、また獲物を狩る調達係として働いていました。
ちょうどアシタカがこのタタラ場を訪れた日の夜のシーンですが、トキをはじめ村の女たちが仕事をする工房のような所へ行き、アシタカも女たちと一緒になって働きます。
このシーンは何だかほっこりさせられる暖かい作りになっていて、戦いのシーンが連続する本作のメインストーリーからは、1歩外れる貴重な活気を讃えています。
私的にこのシーンが1番好きかも知れません。
【その5】シシ神から放たれる脅威と、優しい命の息吹
やはり本作『もののけ姫』のクライマックスと言ってもよい名シーンは、このシン神が倒される場面と、それから復活して森の奥へと帰っていくシーンになるでしょうか。
ジコ坊と、ジコ坊に誘惑されたエボシたちとの作戦により、シン神はその首を奪われ、ダイダラボッチとなって辺りをさまよいます。
そのさまようさなかに首から流れ出る体液のようなものに触れると、草木は枯れ、生き物はその命を奪われます。
皆この洪水のように流れ出てくる液体から逃げ惑い、あげくは絶体絶命の窮地へと立たされます。
このときサンとアシタカは、首を盗んだジコ坊たちの前に現れ、首を取り戻し、またシン神のもとへとその首を返しにいきます。
「これでシン神の怒りが静まるのでないか」
とした一種の賭けでしたが、シン神はその首を受け取るとその大きな体を森の中へと倒していき、そのまま姿を見せなくなります。
この倒れるときの風圧のような(ライフストリームのような)ものが、辺り一面に吹き荒れ、枯れていた草木や命を奪われたものは、またその生気を取り戻していきます。
このシーンに見られる「壮大な自然の息吹」のようなものが、本作『もののけ姫』にずっと生き続ける〝自然そのものの生命〟のように感じられます。
ぜひこのシーンを吟味し、その感動を受け取ってみて下さい。
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ちょうど大学生の頃に放映された『もののけ姫』でしたが、私は映画館ではなく、DVDで観たクチです。
それでもまるで映画館で観ているような大きくリアルな感動が押し寄せ、それまでの宮崎監督作品からは想像もつかないような、きわめて斬新な作りになっていたのが印象的でした。
この映画を観る前に聞いていたCMの宣伝―「宮崎監督の凶暴な部分が描写された…」―というあの1部のテロップが回想され、観ていて「なるほど…」と納得したのを覚えています。
事実『もののけ姫』は他のジブリ作品と違い、初めて「生きること」、「自然や神秘に対する、子どもから大人までが持ち続けてきた探究心」、また「人と霊魂との太古より見られた密接性」などの〝つかみ所のないもの〟とまともに向き合い、それらへの追究を没頭して続けた「真っ向から大人向けの作品」に仕上がっています。
この〝得体の知れないもの・つかみ所のないもの〟への探究の果てに、宮崎監督は「子どもたちの心の空洞」や「神秘主義と合理主義の対立」といった難しい課題を掲げたのでしょうか。
たしかにそれまでのジブリアニメを観てきたジブリファンの期待を、見事に打ち砕いた「とても魅力的な作品」だと思いました。
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