火垂るの墓 あらすじ&感想!アニメならではの名シーン・魅力を語り尽くす!※ネタバレ解説

火垂るの墓

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野坂昭如さん原作の絶頂人気を誇る1作、『火垂るの墓』!

第二次世界大戦時を生き抜いた、4歳と14歳の少女・少年の過酷なまでの生き様を描く渾身の傑作で、その感動の威力は日本の枠を超え、海外にまで波及する凄まじいほどの名作と言われています。

愛情と無情が入り混じる戦後日本を背景にして、いつまでも残り続ける激動の悲しみを描き尽(き)った「戦記モノのヒューマンドラマ」です。

今回はこの名作『火垂るの墓』のあふれ出る魅力と素晴らしさ、また感動の名シーンと、独断と偏見による感想を一挙ご紹介します!

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目次

スタジオジブリ『火垂るの墓』詳細

〈DVD〉『火垂るの墓』

出演:辰巳努、白石綾乃ほか
監督:高畑勲
販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2005年11月18日

〈本〉『アメリカひじき・火垂るの墓』

著者:野坂昭如
出版社:新潮社
発売日:1968年2月1日

概要

野坂昭如の短編小説。
野坂自身の戦争原体験を題材した作品である。
兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。

『火垂るの墓』を原作とした同名タイトルの映画(アニメーション、実写)、漫画、テレビドラマ、合唱組曲などの翻案作品も作られており、特にアニメーション映画は一般的にも人気の高い作品となっている。

第二次世界大戦の戦火にて、14歳の少年とその妹・4歳の少女が両親を失う形で残され、その後の生活・人生をゆくゆく2人きりで送るという、ヒューマンドラマ・感動物語の仕上がりになっている。
栄養失調で段々活気を失っていく妹・節子の、愛おしくもむごく悲しい悲壮の結末が、現代でも世界に壮大な魅力を与え続ける渾身の1作!

方言を交えた独特な文体とその世界観は、文学的観点から見ても貴重な視野を与えてきた。

海外アニメとしても長大な人気を誇り続ける本作は、その激しいまでの感動を武器にして、現在では世界各国にその作品力と充実性をふんだんに波及させている。
2014年にはイギリスにて本作の実写映画化が予定され、国内外を越えた感動作の創造がなされている。

テレビドラマでは何度も再放送・リメイクがなされ、映画も同じく放映され続けている。
反戦に繋がる作品観も認められるため、非常にロングラン的な人気を博し続けてきた。

発表までの経過

1967年(昭和42年)、雑誌『オール讀物』10月号に掲載。
第58回(昭和42年度下半期)『アメリカひじき』と共に直木賞受賞。
1968年(昭和43年)3月25日に単行本が両作を合わせて文芸春秋より刊行。

翻訳版もその後に発行され、現在では〝戦記モノにおける悲劇と悲壮の骨頂を描く作品〟として、異例の人気を博し続ける。

主な登場人物・声優

清太(せいた)/声優:辰巳努
本作の主人公。
14歳。神戸市立中学3年(旧制)。

学校・家は空襲で全焼、母も死去。
妹・節子と共に親戚の家に行くが、叔母と上手く行かなかった。
親戚の家を出てから、節子と共に郊外にあった防空壕を見つけ、懸命にそれからの生活を送っていく。

節子(せつこ)/声優:白石綾乃
本作のヒロイン。
4歳。清太の妹。

母のしゃべり方や着ていた衣服のことをよく覚えており、時折り清太にそのしゃべり方を真似して見せる。
母が亡くなったことを清太からずっと聞かされてなかったが、ストーリー中盤において叔母から事実を聞かされ、母が亡くなった悲しみを知る。

栄養失調lが段々進行していき、発疹や疥癬がひどくなり、ラストシーンでは昏睡に陥ってしまう。
それまで大事に持っていたサクマドロップの缶に、飴ではなくオハジキを入れており、そのラストシーンにてオハジキを飴と信じて舐めている。

加えて清太には、泥で作った団子やおかずをおにぎりやオカラに見立てて「お食べ」と勧めるなど、ご飯とそうでない物との区別がつかなくなるほど衰弱していく。

清太が最後にスイカを盗んできて節子に食べさせようとするが、結局節子はそれを食べることなく、眠りから覚めることもなかった。

清太・節子の母/声優:志乃原良子

清太・節子の母親。
気立ての良い、上品な美人。
節子の出産後に心臓病を患った(原作にて)。
空襲に被災し、全身に大火傷を負う。

清・節子の父/(写真と回想シーンでのみ登場し、声の設定はない)

海軍大尉で戦争に出征中。
清太・節子の父親。
モデルは原作者・野坂の実父とされる。

劇中では写真と回想シーンのみで登場せず。
清太は昔、父の観艦式を見たことがあり、妹・節子が生まれる前から海軍にいたとされる。

しかしストーリー事実においても、その父の死がはっきりとは公表されておらず、どこかで生き別れたことを示唆している可能性もないではない。

親戚の叔母/声優:山口朱美
西宮在住。
清太と節子の親戚。

清太・節子の父の従弟を夫に持つ。

自分の家族を守るためか、その性格はひね曲がり、意地悪くなっており、清太と節子が来たその日から2人を毛嫌いしていく。

原作では2人を「厄病神」と呼びながら2人を引き取ることはせず、「ずっと横穴に住んどったらええ」と言い張っていた。

戦時中に家から焼け出されたら、「互いに助け合おう」と母と約束していた仲でもあり、「叔母と母のどちらが居候する身分になってもおかしくないこと」を暗黙に示唆する設定もある。

叔母さんの娘

清太と節子の親戚・叔母の娘。
女学生。
三つ編みで清楚な少女。
節子に下駄をプレゼントする。

叔母と比べて清太や節子に配慮しており、一つ屋根の下で自分たちと清太・節子の2人に区別がつけられることに、ばつが悪そうにする場面もある(叔母の家族には普通に米が盛られるが、清太と節子には雑炊しか与えられないワンカットがある)。

叔母宅の下宿人

学生。
眼鏡をかけた、真面目そうな青年。
劇中で名前は呼ばれておらず絵コンテ集で確認できる。
叔母に愛想を尽かされ庭で煮炊きする清太と節子を見て、気の毒がる素振りをするが、下宿人という立場からか積極的な擁護まではしなかった。

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作品構成・文章の体裁

文体は、関西弁の長所を生かした「饒舌体」の文体ながらも、無駄のない独特のものとなっている。

物語の構成は、冒頭にまず物語の結末部分が描かれ、駅構内で死んでいった主人公の少年の腹巻の中から発見されたドロップ缶を駅員が放り投げると、その拍子に蓋が開いて缶の中から小さい骨のかけらが転げ出し、蛍が点滅して飛び交う。

その骨が少年の妹の遺骨であることの説明から、カットバックで時間が神戸大空襲へ戻っていき、そこから駅構内の少年の死までの時間経過をたどる効果的な構成となっており、印象的で自然な流れとなっている。

作品背景

『火垂るの墓』のベースとなった戦時下での妹との死別という主題は、野坂昭如の実体験や情念が色濃く反映された半ば自伝的な要素を含んでおり、1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲により自宅を失い、家族が大火傷で亡くなったことや、焼け跡から食料を掘り出して西宮まで運んだこと、美しい蛍の思い出、1941年(昭和16年)12月8日の開戦の朝に学校の鉄棒で46回の前回り記録を作ったことなど、少年時代の野坂の経験に基づくものである。

野坂は戦中から戦後にかけて二人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、血の繋がりはない)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら荼毘に付したことがあるのも事実である。
食糧事情は悪かったものの、小説のようなひどい扱いは実際には受けておらず、家を出て防空壕で生活したという事実はない。

なお、「節子」という名は野坂の亡くなった養母の実名であり、小学校1年生の時に一目ぼれした初恋の同級生の女の子の名前でもあった。

【簡単】3分でわかる『火垂るの墓』のあらすじ

〈冒頭部分〉

1945年の第二次大戦終戦時、清太は亡くなった節子のことを思い出しながら、三宮市駅構内にて衰弱死する。
そのとき清太の懐からは、節子が生前大事にしていたドロップの缶が転がり出る。
その缶の中には、清太により荼毘に付された節子の遺骨が入っていた。
缶が転がり出たそのショックで、節子の遺骨は缶から飛び出てきた。

亡くなっていく清太の周りを、多勢が忙しそうに歩いている。
その雑踏の内の1人の忙しそうな足に、節子の遺骨は踏まれて粉砕された(この辺りに他人の死をどうこう言っている場合ではない、戦後の冷たさが表れている)。

〈本編〉

第二次世界大戦末期、兵庫県武庫郡御影町に住んでいた、14歳の清太とその妹・4歳の節子は、神戸大空襲によって家を焼かれ、両親も失った。

そして途方に暮れる中、2人は兵庫県西宮市の親戚の家を頼ることになる。

戦争による飢餓や困窮が進むにつれて、その居候先でも段々と、清太・節子への対応が冷遇に変わっていく。

その居候先の叔母はことあるごとに清太と節子の2人を邪魔者に見始め、たとえばご飯時など、自分の家族には米の飯を食べさせるが、清太と節子には顔が映るほどの雑炊しか与えなかった。
また普段の日常生活においてもチクチクと嫌味を言う叔母。

そんな居候先での生活に耐え兼ねた清太は、ある日、節子に「家を出て、2人だけの家を持とう」と言い、そのまま満池谷町の貯水池沿いにある防空壕に住み着く。

初めて自分たちだけで生活をする清太と節子の2人は、その生活で「しなければならないこと」と「娯楽」を用意し、ほんの少しの間はそれなりに楽しく過ごす。
その楽しみとして、清太は蛍を見に節子を連れていく。

感激する節子を見ながら清太は、その蛍の何匹かを防空壕に持ち帰り、その蛍たちを闇の中で解放する形で「きれいな蛍の光」を節子に見せる。

しかし節子がその蛍を手に捕まえてみると、すぐに死んでしまう。
そのときの「なんで蛍って、すぐに死んでしまうん?」と清太に尋ねる節子の表情は、何となく「自分たちの生活そのものの先が長くない」という悲しさを思わすような、印象的な場面になっている。

少しの間はそれまでの貯蓄や配給により生活が賄えたが、その配給も途切れがちになり、ついには全く食料が無い状態に陥ってしまう。
その陰で節子は、段々と栄養失調を悪化させていく。

清太は何とか食料を手に入れようと、焼け跡を探し回ったり盗みに入ったりするが、そんな事は生活を安定させられず、節子の栄養失調の状態は、どんどん悪化していった。

ある日、節子が池のほとりで倒れていた。

それを見た清太は急いで病院へ節子を連れていくが、医者からは「ひどい栄養失調だ」と診断され、食料が無いその世情では回復への見込みは絶望的だった。

節子の病状はいっそう悪化していき、もう起き上がることもできなくなった。

あるとき、昏睡状態の一歩手前のようになった節子は、食料を盗んできてその戦果を喜ぶ清太に対し、
「さぁ、ご飯をお食べ。
オカラもこさえたさかい」
と、泥で作った団子と空想で作ったオカラを差し出す。

その様子を見て思わず泣いてしまう清太だが、節子の状態はもうそこまで悪化していた。

節子はその後まもなくして亡くなり、清太が節子の遺体を荼毘に付したところでストーリーは終わる。

引用・参考元:wikipedia

〈参考資料〉

【1】『(DVD)火垂るの墓―実写版』

出演:吉武怜朗、畠山彩菜
販売元:バンダイビジュアル
発売日:2009年3月27日

【2】『終戦六十年スペシャルドラマ 火垂るの墓』

出演:松島菜々子、石田法嗣
販売元:バップ
発売日:2006年2月22日

【3】『火垂るの墓(スタジオジブリ絵コンテ集)』

著者:高畑勲、近藤喜文、百瀬義行、保田夏代
出版社:徳間書店
発売日:2001年6月1日

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『火垂るの墓』7つの魅力

【その1!】過去のストーリーとは思わせないリアル感

本作の舞台背景は昭和20年、ちょうど第二次大戦の終戦時期に当たりますが、この「昔」という記憶を思わせないほどリアルな描写・脚色が秀逸で、とくに清太と節子が防空壕で過ごし始めた頃からのシーンは、現代でも生活苦に悩む人たちの境遇を代弁するほどの情景を表します。

とにかく戦争・戦後の人たちに降り注いだ極めて悲惨な生活の実態を、徹底的に描き尽した「怖いほどリアルな作品」でしょう。

戦時中・戦後の作品とはいえ、じゅうぶん現代にも通用する「人と生活の盛衰」が恐ろしいまでに再現された、稀代に残る名作と言えるでしょう。

【その2!】節子の姿に〝母性〟を表現している

節子が登場するシーンを初めから見て下さい。
そこには幼少である節子のはずが、幼いながらも清太を何らかの形で大きく見守る〝母親像を思わす、ぬくもりのある母体〟の様子が表現されます(これは錯覚に近いものと思いますが)。

とくに防空壕で生活し始めた頃から節子の様子には、それまでの節子から次第にかけ離れていく「命のあり方」だけを表現します。
ちょうど栄養失調で、体調に異変が出始めた頃からでしょうか。
この辺りの清太に対する節子のあらゆる行為に注意してみて下さい。

おそらく絵コンテの段階からこの節子をスクリーン上で表現する際のコンセプトが、「幼い女の子だけを描くのではなく、男性を包容するまでの母性の表象」を織り込んだのではないかと思わせます。
それほど節子が表す外見の一部始終がひ弱いながらも、何か途轍もなく大きな母性を見せてくるような、女性のあり方そのものを突きつけます。
これは、節子がそれまで自分の母親の様子をよく見てきて、その母親のぬくもりを自分で体現している事の証明と言えるでしょうか?
またその後から節子の意識が昏睡に陥っていくまでの段階を、ぜひ深く鑑賞してほしいです。
そこではもはや、ただ「清太を見守る暖かい母親の像」をそのまま表しています。

この「幼少の節子の姿に、母親の体裁と内実とをそのまま表現したような斬新な母性像」を、ぜひ本作を通して記憶して下さい。

【その3!】節子の表情の変わり方

節子はその登場からとても快活で可愛らしい「少女」を見せてくれますが、その様子が段々低迷していき、果てはものを1つ言うこともできないほどの、極限の衰弱を表現します。
この表現はもはや演技にはなく、人が持つごく自然の表情にあり、その有様がひどく純粋な生気を活性させて、おそらく視聴者の感動を大きく揺さぶることでしょう。

やはりジブリアニメ、また野坂昭如さんという二大演出による脚色にあるため、その感動と純朴を表す効果においては、「右に出るものなし」と言わせるほどの、シンプルな世界観・躍動感を伝えてくれます。

キャラクター1つ1つの表情や言動の移り変わりを見て下さい。
とくに戦記モノではこの「人間の表情と躍動の移り変わり」というものを大きく表象する傾向があるものですが、本作でもその活性は見られており、全てのキャラクター、また背景から情景までの変遷が、ごく自然のあり方をそのまま抽出しています。

節子の表情にその「ごく自然のあり方」が浮き出ているように思え、節子や清太を取り巻く環境的経過を俯瞰する上、どうぞ『火垂るの墓』とタイトルが付けられたその所以を吟味してみて下さい。

【その4!】昔の日本に見られた懐かしさ

やはり戦記モノ特有の「古きよき日本」を想わせる、懐かしい風景・情景は、本作でもその要所に散りばめられています。

清太や節子を取り巻く風景や人の姿形をはじめ、当時の家族構成のあり方や習慣、自然のものがあふれる程に見られた日本の景色というものが、そのストーリーが展開するごとに大小を問わない感動を引き連れ、やってきます。
清太と節子が居候をさせてもらった叔母の家での風景・人間模様は、おそらくこの当時には普通にあった様子であり、その懐かしい風景の中をさまざまな個性を持った〝昔の日本人たち〟が躍動するところに、まるで懐古主義・回顧趣向を催してくれる、反省的で、暖かみのある美彩が見えることでしょう。

【その5!】当時資料を見るように、日本の終戦後の様子がよくわかる

ジブリ映画はたいていそうですが、1作品を創るとき、まずはその物語構成するための〝当時資料〟というものを徹底してピックアップし、把握した後に、その資料から得られる真実に近づく形で〝ストーリーの1つずつ〟を創っていきます。
この点に、その当時の人物や歴史のあり方が鮮明にわかる「貴重な感動」が隠れています。

ただ物を観るだけじゃつまらない、やはりそのストーリーを吟味するときには、「そのストーリーがなぜこのように構成されているのか?」といった予備知識を踏まえて観ることで、そのストーリー・作品から得られる感動や思考はさらに深みを増し、またそれらから発展できる想像(創造)も、視聴者にとってはその後の糧となるのでしょう。

実に「歴史を勉強しながら作品を楽しむこと」が自然にできてしまう構成です。
このような一石二鳥の魅力が、本作をはじめ、たいていのジブリ映画には加味されています。

【その6!】謎が真相を呼ぶ!

本作『火垂るの墓』には、原作にも見られる〝あえて描き切っていないシーン・ストーリー〟が存在します。
たとえば「清太と節子の父親の消息」に始まり、「節子や清太が亡くなった本当の理由」、また節子が栄養失調で動けなくなったとき、清太が食料を調達しようと出かける際、「行かんといて」と節子が言うその心理的な理由など、もっと挙げれば切りのないほど出てくる「なぜそうなったのか?」を追わせる〝謎〟のようなものが浮んできます。

いえば「作品の行間を読む」といった、精観・深読みをさせる点でしょうか。

あえて描かないシーン・ストーリーを設けておいて、その点について視聴者に「考えさせること」をメインに置いた構成は、たとえばそこから得た感動を自分なりに解釈する際、視聴者にとっては余程の無形財産を生んでくれるでしょう。
たとえばラストシーンでの、死んだはずの清太と節子が、また元気なころの姿に戻って闇に消えていくまでの経過を観ながら、あなたなりの解釈を得てみて下さい。
よくよく考え、心に感動を呼び入れることで、きっとあなたが今後持つ人生観さえ変えられるかも知れません。

【その7!】声や口調をはじめ、キャラクター1人ずつが持つ独特のオーラ

本作はその原作から関西弁が使用されており、いわゆる郷土作品のような、人の習慣・土着を想わすストーリー展開が組まれています。
その内での清太や節子のしゃべり方、叔母の素っ気なく、蓮っ葉な言動、救護所や街中・駅構内を歩く不特定多数の人の習慣的言動をはじめ、その土着の様子を色濃く反映させる脚色技法は、作品を根底から支える形でリアル感を醸し出します。

関西弁をキャラクターのしゃべりに合わせると、どうしてもその個性は強く浮き出ると言われます。
いえば本作のキャラクター全てがこの「個性の強い人物と習慣」を表現しており、その表現が視聴者に与える感動は、非常な臨場感をもたらす最適の武器にもなるのでしょう。

いかがでしょうか?『火垂るの墓』に詰め込まれた〝魅力〟をとりあえず7つ挙げてみましたが、まだまだこんなものじゃない、本作ならではの凄まじいほどの威力を持った感動と魅力が、そのストーリーの始終に息衝いています。
どうぞその真のあり方については、あなたの心と愛で直に感じ取ってみて下さい。

続いて本作の「見せ場」(名シーン)を一挙ご紹介したいと思います。

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『火垂るの墓』9つの名シーン

【その1】冒頭シーン―駅構内で、清太が節子のことを空想している

冒頭シーンで、清太が亡くなった節子のことを、自分の父母のことを考えながら、節子と同じく栄養失調により、段々意識がもうろうとしていく場面が映ります。
目に力がなく、表情がめっきり乏しくなった清太のうつろな様子が、ただ一点を見つめて、まるで元気だった節子との短い暮らしを回想しているようです。

このシーンを心に留めたまま、その後のストーリーをご覧下さい。

バッドネスエンドを心に留めることで、その後のあらゆる活気や楽しみが暗くなっていきますが、「これはそういうことを訴える映画だ」という本作に掲げられたメインテーマに直結する姿勢が得られ、より本作を吟味する感情に拍車がかかるでしょう。
(私はこの冒頭シーンでまず泣いてしまいました)。

【その2】清太が父に連れられて観艦式に行く

清太は大空襲で被害を受ける前、まだ父母が健在だった頃、海軍に所属する父の艦隊式に行った思い出がありました。
そのシーンでは唯一、よそ行きの明るい活気が清太とその周りを映し出し、その背景にはまた、母や節子が幸せそうに生活している臨場の空気も読み取れます。

本作は終始〝悲しく、暗いムード〟が漂いますので、こういった家族みんなが健在だった頃の1シーンでさえ、異様に明るく、暖かく、美しく映ってくるものです。
少しレトロな回顧シーンに思われますが、どうぞこのような〝脇役〟のように映されるワンカットもご堪能下さい。

【その3】居候先での出来ごと

清太と節子は戦争で家屋を失い、また父母も相次いで失くしたことで、親戚の叔母を頼り、神戸三宮市にやって来ます。
そこで待ち構えていた〝終戦時に多く見られた現実の厳しさ〟というものが、本作でもとてもリアルに再現されます。

この居候先の叔母のタチの悪いこと悪いこと!
この叔母は、自分の家族や学生の青年には普通にご飯を出してあげるのに、清太と節子には、ほんの少しの米粒が入った雑炊(お粥程度)しかあげません。
それに加えて、ことあるごとに清太に嫌味を言い、節子にはショックすぎる「母が亡くなったこと」さえ気軽に告げてしまうような、まるで冷徹・無神経な態度をことごとく見せてきます。

しかしこれも当時資料によるものですが、終戦当時、この叔母のような態度を取る一家の主(あるじ)は普通にいました。
どの家庭の主も、その家族を守らなければならないという不変・不動の役割があり、そのためには他人の世話など果してできない、ぎりぎりの生活というものを強いられたものでした。
ですからこの叔母の言動も、ゆくゆくは清太と節子に構っていられないほどの〝切羽詰まった家計情況〟があることの証明とも見て取れるもので、決してこの叔母が「極悪人」とも言い切れない点が出てきます。

このような、ストーリーの1場面ずつに映った「ひどい光景や情景」も、終戦直後の日本の世情をよくよく反映させているような〝あるまじきリアル感〟を伝える格好の材料ともなり、視聴者にとっては斬新な歴史を伝えられる〝貴重な資料・感動〟ともなるでしょう。

【その4】防空壕生活での楽しい1コマ

清太と節子はその居候先から飛び出て、やがて見つけた溜池沿いの防空壕で2人だけの自給生活を始めます。
焼け跡から食器や生活用品を揃え、また生きていくのに欠かせない食料の補給は清太が民家から盗んで調達します。
焼け跡からかき集める生活具と食料ですので、生活するのに物が揃えば事は足ります。

この防空壕生活での最初の1コマは、それまでの厳しい終戦後の現実から少し脱出したような、清太と節子、2人だけのパラダイスのような雰囲気を醸し出します。

ここでの節子の様子が実に可愛いです。
4歳といえば、普通ならヤンチャ盛りの年頃です。
節子もその通りに、清太の目を盗んではいろいろなイタズラや冒険をします。
そのヤンチャ振りをいかんなく発揮してくれるその節子を追って、親代わりにしつけようとする清太の姿も、実にいじらしいもの。

おそらく本作での1番〝楽しい場面〟に見えると思いますので、節子と清太の年相応の躍動を、この場面を吟味しながらお楽しみ下さい。

【その5】防空壕の暗闇の中を、沢山の蛍が飛んでいく

これも防空壕での娯楽の1コマになりますが、ある日の夕方、清太と節子は辺りを飛んでいる蛍を目にします。
それを見て「キレイ」と言いながら捕まえたいとする節子の願いを叶えようと、清太は飛んでいる蛍を沢山捕まえて、寝る前、防空壕の闇の中でその捕まえた蛍を一斉に解放しました。

すると蛍は外で飛んでいたときと同じように、尾の部分をキレイに光らせ、まるでプラネタリウムの星々のような神秘的・幻想的な光景を2人に見せ、とくに節子の心を明るく楽しませます。

このときの節子の嬉しそうな表情や、その様子を見て微笑む清太の姿がとても愛らしく、「この楽しみがいつまでも続いてほしい」という「一瞬の幸福」にさえ見えてきます。

ですが蛍ですから、その輝きは1晩で消えます。

「なんで、蛍、すぐに死んでしまうん?」
翌朝の節子のセリフに、まるで「節子と清太が過ごした、一瞬の幸せな時間」が二重に表現されている気さえします。
私的に、とても奥深い名シーンに思えました。

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【その6】防空壕生活が、段々と苦しくなってくる…

先の「防空壕生活での楽しい1コマ」とは裏腹に、食料の調達が段々間に合わなくなる非情の現実が、着実に節子の心身をむしばんでいきます。
清太は14歳で、節子はたったの4歳。
先の食料調達をはじめ、衛生管理に乏しい防空壕で、人の健康面が維持されるはずもありません。
夏の暑さの中、まず節子が衰弱していきます。

節子がそうなるだけで、途端に穴ぐら生活は活気を失い、明るさを失い、清太はその上で憑かれたように、ただ節子の容態を見守るだけの療養生活に入っていきます。
清太の看病の甲斐なく節子の容態は悪化を辿り、極度の栄養失調から回復せず、やがて起きること・話すこともままならなくなります。

ある日、清太は、池のほとりで倒れている節子を見つけました。

節子はもうろうとしたまま活気が失われていき、ただ1点をぼうっと見つめるだけです。

命と健康がそぎ落とされていき、その先が見え始める現実の移り変わりを、どうぞ目を伏せることなく、じっくりと見て下さい。

この悲惨さがおそらく、戦争という人の愚かさがいかに人にとって無駄であるかという、本作に掲げられたメインテーマの1つに思えます。

【その7】清太が最後の食料調達に出かけるときの、節子の訴え

節子はすっかり栄養失調に陥ってしまい、もう防空壕のそばから離れることができません。
そのとき、清太は最後の食料調達に出かけようとします。
節子は出て行こうとする清太に泣きついて、「行かんといて!」と連呼し、いつまでも自分のそばにいてほしいと強く訴えます。
ですが食料がなくては、栄養失調の節子は回復しません。

「しっかり食べへんかったら、節子が元気になられへんやろ?」
と清太は気丈に諭して、節子をいつも通りに防空壕で待たせ、さっそうと食料調達に出かけます。

この場面が、ほとんど節子との今生の別れになります。

理屈ではわかるのですが、それでも節子を振り切って出かける清太の後ろ姿をじっと見つめる節子の表情が、4歳ながらか弱さと、無性の哀しさを表現しているようで切なくなります。

【その8】泥や土で作った節子のご飯

清太が食料調達に出かけた後、節子はただ1人で防空壕の中で寝ています。

清太が帰ってきたとき、節子はもうそれまでの様子を見せることなく、ほとんど幻覚の中で生きていました。

小さい節子の体が大きな敷布の上で横たわる姿が、何も言えないほど悲しく見えます。

節子の顔にハエがたかっているのを見た清太は、まるでその節子の表情に死相を見たかのように焦り、すぐに節子のそばへ駆け寄って、調達した食料を節子に食べさせようとします。

懸命に励ましながら、なんとか節子の意識を呼び戻そうとする清太に、
「兄ちゃん、どうぞ、ご飯や、オカラ炊いたんもあげましょうね、どうぞ、お上がり…」
と呼びかける節子のセリフは、2人の母を思い出させるような、暖かくも悲しすぎる、悲壮な孤独を訴えます。

その様子を見ていた清太は、いたたまれなくなり、取ってきたスイカを1口サイズに切って、節子の口へ含ませます。
ひと噛みしたあと節子は、
「おいしい…兄ちゃん…おおきに…」
と途切れがちにぽつりと言います。
これが節子の最期の言葉でした。

白石さんの声が何ともこのときの節子の様子を鋭く表現しており、この1シーンを観ただけでも泣けてくるほど、本作の感動が持つ凄まじさがおのず伝わるように思います。

【その9】エピローグに映る、節子と清太

亡くなった節子を荼毘に付す清太。
そのラストシーンが流れた後に、清太と節子は元気だった頃の服装や活気を持ちつつ、背景に現代社会を写すようなビル群を見ながら、まるで闇の彼方へ消えていくように終幕します。

おそらく、それまでの辛すぎた過去の現実をこの1シーンで払拭してしまうような、半ば〝隠れたハッピーエンド〟のような幕引きに見えますが、途中で写る「現代社会を思わすようなビル群の風景」が、このラストでどんな意味を持つのかということが、なかなか奥深な意味を持っているように感じられるでしょう。

ぜひこのワンカットを見逃さず、最後の最後まで、本作を徹底して味わって下さい。
このエンドロール直前の場面での節子の元気な姿に、幾分かの救いと哀しさとを、やはり感じずにはいられなくなるでしょう。

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『火垂るの墓』感想

私は本作を小学生の頃に初めて観、それ以降、おそらく50回以上は観直してきたと思います。
大学生から社会人になってからの方がより一層の感動が渦巻くようになり、戦争の愚かしさや、戦争が1人1人に与える悲壮な現実というものを、まるで実体験させられたかのような、とても素直な感動を憶えさせられたものでした。

それと、率直に言って、本作の感動のあり方が凄まじい。

まるでその魅力は〝威力〟という言葉に置き換えられるようなあり方で、おそらくジブリ映画では1番泣いた作品ですし、他作の著書・映画を通してみても、ベスト3に入るほどの「稀代の名作」と言ってもよい貴重な大作に思えます。

まだ本作を知らない人にはぜひ観て頂きたく、また映画より本で読む方がいいという人には、ぜひ原作で読まれることをおススメしたいです。
私もまだ原作の方をじっくりと読んではいないので、これから読み直してみようと思っています。
「否応なく泣かされる作品」というのは、こういうのを言うのではないでしょうか。

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さらに、国内ドラマの見逃し配信やHulu独自のオリジナルコンテンツなど全ての動画が見放題です!
第2位.U-NEXT 動画配信以外にも、電子書籍や有名雑誌などが見放題なのが特徴的です。
ただ、日本の動画配信サービスのため、Huluに比べて海外のドラマや映画が少なく、料金も他よりも高めです。
第3位.dTV 豊富なコンテンツがバランスがよく揃っていて、最も料金が安いのがメリットです。
また、dTVオリジナルコンテンツ「BeeTV」やライブやカラオケ動画なども魅力的!

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